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ウクライナから土俵の頂へ?安青錦の入門前ストーリーと涙の軌跡!

戦火に揺れるウクライナから日本へと渡り、大相撲界で異例のスピード出世を果たした安青錦新大(あおにしき・あらた)関。

彼の姿に多くの人が勇気をもらい、今や相撲ファンだけでなく世界中から注目を浴びる存在となっています。

しかし、その華やかな活躍の裏には、異国の地で相撲と出会い、夢を追い、数々の困難を乗り越えてきた壮絶な道のりがありました。

この記事では、安青錦関が日本の土俵に立つまでの入門前の経歴に迫り、ウクライナでの少年時代から相撲との出会い、そして来日に至るまでの軌跡を詳しく解説します。

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ウクライナで芽生えた格闘家としての才能

柔道から始まり相撲へと惹かれていった幼少期

安青錦新大関ことダニーロ・ヤブグシシンさんは、2004年3月23日にウクライナ中部・ヴィーンヌィツャ州に生まれました。

幼少期のウクライナでは、柔道やレスリングが盛んであり、ダニーロ少年も例外ではなく、6歳の頃から柔道を始めました。

基礎的な体の使い方や礼儀を学ぶ中、7歳のときに見学した地元の相撲クラブに惹かれ、本格的に相撲を始めることになります。

当時から「シンプルなルールと瞬発力で勝敗が決まる」相撲に面白さを感じていたそうで、柔道から相撲へ自然と軸足が移っていきました。

レスリングとの並行で鍛え上げられた体幹と勝負勘

8歳からはレスリングにも取り組み、相撲とレスリングを並行して続ける日々が始まります。

ウクライナでは体重別に細かく分かれた大会も多く、ダニーロ少年は試合経験を積みながら、17歳時には国内大会110kg級で優勝するまでに成長。

また、15歳では世界ジュニア相撲選手権で3位、17歳ではヨーロッパ選手権100kg未満級で優勝という快挙を成し遂げ、国際舞台でも実力を証明しました。

レスリングで培った足腰の粘りや相手の体勢を崩す技術は、後の相撲人生に大きな武器となっていきます。

ウクライナでの学業と進学の予定

安青錦関は、地元の「第32学校」で義務教育を修了後、ウクライナの国立大学への進学が決まっていました。

日本でいう中学から高校相当までを一貫して学ぶ教育制度のもとで学びながら、トレーニングや大会への出場を継続していました。

教育と競技の両立に努めた日々は、後の日本での生活でもその規律性として現れていくことになります。

しかし、2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったことで、すべての予定が狂い始めます。

夢と希望を託した日本への道

インターネットで出会った大相撲の世界

安青錦関が初めて「日本の大相撲」と出会ったのは、12歳の頃にYouTubeで見た取組映像でした。

日本の力士たちの迫力ある立ち合いや、儀式を重んじた文化に強い衝撃を受けたといいます。

その瞬間から「自分もいつか日本で本物の力士になりたい」という明確な夢が芽生え、以後その思いは年齢を重ねるごとに確かなものになっていきました。

当時は言葉も文化もまったく違う遠い国での夢に過ぎなかったものが、数年後には現実の目標へと姿を変えるのです。

大阪での出会いが未来を拓いた

2019年、大阪・堺市で開催された世界ジュニア相撲選手権に出場したダニーロさんは、そこで運命的な出会いを果たします。

当時、関西大学相撲部主将だった山中新大さんが、15歳の彼に英語で「ハロー」と声をかけたことから、交流が始まりました。

山中さんはその時の印象を「体格はそこまで大きくないのに、異常なほど強かった」と語っています。

Instagramを通じてやりとりを続ける中で、2人の間には国境を越えた絆が育まれていきました。

ロシアの侵攻と「今しかない」との決断

2022年2月、ウクライナに対するロシアの侵攻が始まりました。

その頃17歳だった安青錦関は、18歳になると出国が制限される可能性が高いことから、「今行動しなければ夢を諦めることになる」と覚悟を決めます。

ドイツへ一時避難したのち、山中新大さんに「日本に行きたい」と連絡。

山中さんは即座に両親と相談し、彼を自宅に迎え入れることを決意します。

こうして安青錦関は2022年4月、日本へと単身で渡り、夢への一歩を踏み出しました。

日本での相撲修行と人との絆

山中家での温かい下宿生活

日本到着後、安青錦関は山中新大さんの実家に下宿することとなり、彼の家族から手厚い支援を受けながら新生活をスタートさせました。

慣れない文化や言葉に最初は戸惑いも多く、「新大が帰宅すると一気に笑顔になるほど、彼にとっては心の支えだった」と山中家の家族は語ります。

言葉の壁もありましたが、家族のような絆が彼の精神面を支え、日本での生活基盤を築く大きな力となりました。

この「居場所の安心感」が、安青錦関のさらなる成長を後押しすることになります。

関西大学相撲部での日々と成長

安青錦関は、正式な学生ではなかったものの、「練習生」という形で関西大学相撲部に所属。

昼は神戸の日本語学校で言語を学び、夕方からは大学の土俵で部員たちと共に汗を流しました。

当初は英語でコミュニケーションを取っていましたが、部員たちは日本語しか話さないため、「覚えるしかない」と感じ、自発的に語彙をメモし、使いながら実践的に学んでいきました。

やがて流暢に話せるようになり、稽古にもすっかり溶け込んでいったのです。

圧倒的な実力と師匠との出会い

稽古の中で、安青錦関の実力は際立っていました。

山中さんをはじめ、相撲部の誰も勝てないほどの強さを誇り、その実力は噂となっていきます。

その評判がきっかけで、報徳学園相撲部の監督が彼を安治川親方(元・安美錦)に紹介。

2022年12月、安青錦関は安治川部屋の研修生として迎え入れられ、翌年7月に正式入門、9月場所で初土俵を踏む運びとなりました。

稽古場で黙々と技を磨き、ひたむきな姿勢が師匠の心を動かしたのです。

四股名に込めた想いと母校への感謝

「安青錦新大」という名に託された縁

安青錦関の四股名「安青錦新大(あおにしき・あらた)」には、彼を支えた人々や自身のルーツへの強い想いが込められています。

「安」と「錦」は、師匠・安治川親方(元・安美錦)の四股名「安美錦」から、「青」はウクライナの国旗と自身の瞳の色にちなんでいます。

そして「新大」は、来日のきっかけとなり、生活を支えてくれた山中新大さんへの感謝の証です。

安青錦関は、「彼の存在がなければ今の自分はなかった」と語っており、心の底から恩義を感じていることがうかがえます。

化粧まわしに刻まれた関西大学の校章

十両昇進を果たした際、関西大学相撲部から安青錦関へ贈られたのが、紫紺の化粧まわしでした。

そこには、正式な学生ではなかったにも関わらず、校章が堂々とあしらわれていました。

関西大学の相撲部は130年を超える歴史を誇り、その土俵で安青錦関が修行していたことを象徴する誇りの証とも言えます。

安青錦関にとって、関西大学は「第2の母校」とも呼べる存在であり、このまわしはその感謝の気持ちを形にしたものでした。

稽古場に残る「ダーニャ」の痕跡

2025年春場所を控えたある日、安青錦関は関西大学の相撲道場を久々に訪れました。

そこには今も、「ダニーロ・ヤブグシシン」という名札が稽古場に掲げられています。

日本語も話せず、見知らぬ土地での生活に戸惑いながらも、ひたすら土俵に向き合った日々の記憶がそこに刻まれています。

安青錦関は、当時の部員たちに胸を貸しながら静かに笑みを浮かべ、「原点に帰るような感覚だった」と振り返っています。

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急成長と大関昇進への快進撃

初土俵から幕内までわずか9場所の快進撃

2023年9月場所で初土俵を踏んだ安青錦関は、そこからわずか9場所で幕内昇進という歴代トップタイのスピード出世を遂げました。

序ノ口・序二段・三段目と各段で優勝を重ね、負け越しは一度もなく、安治川部屋のエースとして急成長。

2025年春場所では新入幕ながら13勝2敗で優勝決定戦を制し、ついに大関昇進を確実としました。

その姿に、誰もが驚きと称賛の声を送ると同時に、「本物の力士が現れた」との評価が高まっています。

支え続けた師匠と相撲部の仲間たち

師匠・安治川親方は、「異国から来て、相撲という文化を理解しようと一生懸命だった」と、安青錦関の姿勢を高く評価。

また、関西大学相撲部の仲間や山中新大さんとの絆も、安青錦関の飛躍に大きく貢献しています。

本人も「一人ではここまで来られなかった」と語っており、周囲の支えに対する感謝を常に忘れない姿勢が、力士としての器の大きさを物語っています。

現在も部員との交流を続け、稽古やプライベートの時間を共にする場面も見られています。

ウクライナの仲間や避難者たちに届ける希望

安青錦関の活躍は、戦火に苦しむウクライナにとっても大きな希望です。

彼と同じく避難民として来日し、角界入りを目指す若者たちは、「安青錦関の姿に勇気をもらった」と語っています。

特に長崎県立長崎鶴洋高校相撲部のウクライナ人エゴール・チュグンさんは、「負けないように頑張りたい」と力強く語り、彼の背中を追っています。

相撲という日本文化を通じて、世界の苦難を越える架け橋になっている安青錦関の存在は、まさに新しい時代の力士像を体現しています。

まとめ

安青錦関の入門前の経歴は、ウクライナという遠い国の地から、戦争という過酷な現実を乗り越え、日本の伝統文化・大相撲の世界へ飛び込んだ感動のストーリーです。

幼い頃から培ってきた格闘技の経験、偶然から生まれた国境を越えた出会い、そして日本での修行と恩人たちとの絆。

どれもが奇跡のような連鎖でつながり、いまの「安青錦新大」という力士が生まれました。

その名に込められた感謝の気持ちや、十両昇進を機に贈られた化粧まわしには、彼のこれまでの歩みと周囲への敬意が深く刻まれています。

そして何より、安青錦関の活躍は、今も苦境にあるウクライナの人々や、夢を追いかける全ての若者たちにとって、限りない希望となっているのです。

これからさらに高みを目指す安青錦関の相撲人生に、ぜひ注目していきましょう。

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